

第九回 星と森国際短歌大会日本語部門選評
今回は、約3500首の応募がありました。昨年より400首ほどの増加であります。
応募の数が、回を重ねるごとに、増えて来ておりますことは、喜ばしいことであります。
しかし、歌の良し悪しは、必ずしも、歌の数に比例するわけではないようで、今回は、率直に申し上げて、良い歌は数の割りには、あまり、多くはなかった、ように思いました。
「森羅万象」という言葉がありますが、辞書を引きますと、この「森羅」とは、無数、並び連なる意味であり、「万象」とは、さまざまな形の意とあります。つまり、「森羅万象」とは、すべてのもの、という意味だと書いてあります。この言葉は、「森」というものが、この地球に、自然に存在するありとあらゆるものを具象している大きな存在であることを源にして、出来た言葉ではないか、と思われます。今回、寄せられた歌の多くが、この宇宙の原初を思わせる森のカオス、混沌とした多様、そしてその中に潜む秩序、その美しさと力、そういう森の存在感に畏敬の念を抱くことなく、ただ言葉だけで作ったような歌であったことは、淋しいことでありました。
いやし、セラピー、森林浴、フィトンチット、マイナスイオンなどの言葉、トトロ、ムーミン、プーサン、森の妖精などの言葉が溢れていました。
また、地球温暖化、CO2削減を唱える標語のよう三十一首、キャッチ・コピーのようなものも沢山ありました。
日本は、森林が国土の七割を占める「森の国」である、と言われています。世界の先進国の中で、日本より森の割合が多いのは、スウエーデンとフィンランドぐらいしかない、と聞いております。であるのに、日本人の森についての認識がこのように低いのは、何故なのか、と考え込んでしまいました。たぶん、現在の日本人の多くの生活の仕方に、その理由があるのだと思います。都市に暮していると、森は、見えない、感じられなくなっているのだ、と思います。
森に対する畏敬の念、これが古来から自然とともに生きてきた日本人の叡智だったはずです。
「自然は、これと戦うべきものではなく、ともに歌うべきものである、」という言葉があります。
このように、自然とともに歌うように、これと和して生きて来た日本人が、「森」という深く大きな自然を歌うとき、今や、こんなことになってしまっているかのか、と思うと、悲しい気持ちになりました。
次に、入選歌のそれぞれについて、選評を申し上げます。
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星と森 大賞 青森県 松尾 タイ
白神の 森のいのちの 直中に 滝の飛沫を あび立ち尽くす
この歌が「白神の森の」と歌い出された時、ただならぬ予感がありました。
続く「命の直中に」で、すでに一つの世界が現れてきます。
そして、第四句から結句へと一気に、歌い進め、歌い鎮められます。
そこには、滝のしぶきを全身にあび、深く大きな森の「いのち」の息吹に抱かれて、呆然と立ち尽くす作者の姿と心があります。あたかも、瞑想の中に入ってゆくように、森と一体となってゆく魂。
今回、寄せられた三千五百首余の中で最も深い感銘を受けた歌でありました。 |
星と森 副賞 長崎県 越塚 正彦
鹿の目の 潤む夕の 大寺の 森に蜩 鳴き出でにけり
夕方、森で、蜩が鳴き始めた、という歌でありますが、その夕方は、「鹿の目の潤む夕」であり、森は、「大寺の森」であります。美しい自然と古い歴史をもつ奈良の景観が静かに浮かびあがってきます。この素晴らしい舞台に蜩が登場して、歌を歌い始めた。
蜩は、他の蝉たちが一斉に鳴き競っている蝉時雨の昼間には、鳴きません。何をしているのか。自分の歌うべき歌を想っているのだ、と思います。そして、他の蝉たちが鳴き止んでから、歌い出すのです。そして、その歌は、これが蝉の声かと思うほどに美しい。
この歌は、古都の森の夕べの限りなくやさしいひと刻の始まりを想わせる美しく力ある歌であると存じます。 |
特別賞 ブラジル国 新井 知里
アマゾンの 森をよぎりて モルフォ蝶 光放ちで 一瞬に消ゆ
アマゾンには、30年ほど前に旅しましたが、この熱帯雨林の圧倒的な存在感は、いまだに、忘れることができません。
この森から飛び発ったモルフォ蝶が、光を放ち、彗星の如く現れ、彗星の如く消え去って逝った、その一瞬を詠むことによって、アマゾンの森を詠んだ数多くの歌の中で、歌としての完成度の点から、この歌を特別賞として選ばせていただきました。 |
以上をもって、選評といたします。
平成十九年七月二十九日 選者 中島 宝城 |
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