第三回 星と森国際短歌大会−−2001年
論評 ジェームズ カーカップ
「風」は詩歌にとり素晴らしいテーマです。このテーマは多くの傑作を作り出しており、その最も多くが、たとえばシェリーの「西風に寄せる賦」のように、かなり長い作品です。
それはまた、詩歌として最も魅力的で難しいテーマです。と言いますのは、風は巨大な自然の力だからです。ですから詩人が長い詩、しかも風の莫大な力を含むのに充分な大きさの詩を作るということは、半ば予期されて自然です。
従って、僅か三十一音節しかない短歌の詩人にとり、この挑戦は極めて容易ならないものです。いかにして短歌詩人は要約出来ないもの、しかもまさにその本質が無限のものを簡潔にするのでしょうか。そこにこそ真の短歌の詩人の才能が明らかになるところがあります。この巨大なテーマについて、真の短歌を作ることが出来る充分な証明があります。それは日本文化の中で、古代に書かれた詩に見ることが出来ます。その遠い昔の文芸時代以来、北、南、東、西の風、強力な、穏やかな、陽気な、荒れる風、そして自然に於ける四季を象徴する風など、あらゆる風の精髄を首尾よくとらえながら、幾千もの短歌が書かれてきました。この風の魂を呼び起こす能力は、最も現代的な日本の詩人の中にさえ見受けられます。ここに、現代の偉大な短歌詩人、齋藤史氏、現在九十二才、の作品から「秋風」という良い例があります。 |
In the autumn wind--
path to Reisenji Temple--
the pampas grasses
are all withered now, can no
longer fight against the wind.
(秋風の 靈仙寺みち すすき枯れて 風に抗ふ ことなくなりし)
ジェームズ カーカップ 及び 玉城 周 共訳
| この美しくも厳しい短歌の中で、詩人は全詩を秋風の本質とそれが周囲の自然に及ぼす影響に充てています。私的なことをほのめかすものは、なにもこの短歌には入っていません。だからこそ私達は短歌の音、そのリズムと言葉の調べの十分な美しさを味わうことが出来るのです。「靈仙寺」という名称は、短歌の核心にあって、静けさと悲しさを伴う音とイメージを与える上で、特に重要です。 |
こんなに短かい詩が、多くの自然の目に見える美しさや、あのようにすさまじい激しさを内包することが出来、あんなにも残念に思う悲劇的な調子で終わっているというのは驚くべきことです。この短歌は、詩的創作の上で最高の部類に入る、典型的な一例であり、私はこの歌と対照して、星と森短歌大会参加者の作品の水準を評価しました。
全ての参加者が乗り越えることの出来た、一つの基本的な難事があります。それは、五、七、五、七、七の音節から成る詩の各行を、いかに書くかということです。全部正しく形成されていました。けれども、三十一音節をたゞ用いるだけでは充分とは言えません。作者は、単なる機械的な数の計算という堅苦しさの避け方を知り、形式の厳格さの上に、しなやかなリズムの流暢さと自然さを課すことを知らなければなりません。それが第一の重要なステップ、つまり格式ばった短歌に人間らしい声を与えることです。音楽的な魅力と語彙の敏感な選択が次にきます。それらがなくては、流暢に流れる正しい短歌も生命のない作品となります。最後に、簡潔な短歌の形式は、思考の要約と明晰さ、ならびにイメージの連続が劇的に展開していくなかで、内面的な筋道を必要とします。
一般にこの大会に於ける短歌の水準は、常に進歩していると言えることを嬉しく思います。今年は要望された風のイメージが、全ての作品に大体に於いて首尾よく組み入れられています。さまざまの風は、しばしば人間の強い感情の大嵐に関連づけられます。けれども残念なことに、これらの感情は紋切り型過ぎていて、作者が選んだ風それぞれのもつ特質と比べるには、余りにも弱すぎます。
以上の理由で、どの作品も大賞に値するにはまだであると感じました。いつか近い将来、この比類のないコンテストから、極めて特別な賞を贈るにふさわしい短歌が出てくることを、私は確信しています。 |
| そこで私は四首の短歌−−三首は入賞作、一首は次点を選出致しました。先ず次点から始めたいと思います。私は次の作品を「特に言及」し、表彰します。 |
nothing but the wind
creaking empty rocking chairs
on the veranda
my heart remembers nothing
but the echo of your voice.
ベランダの、空っぽの揺り椅子が、風に吹かれるだけできしんでいる。
私の心は、そのきしむ音によって、在りし日の貴方の声のひびきを思い出している。
| この短歌は強く始まっていますが、終りの二行はむしろ弱々しく感傷的です。始めの三行は生き生きとしたイメージと、ベランダ上の揺り椅子がきしむ、風の引き起こす典型的な音を提供しています。作者は、最初の強いイメージを漠然とした自身の感情で弱めたりしないで、強化すべきでした。もう一つの良い点は"nothing"という言葉のリズミカルな繰り返しで、称賛に値いします。あらゆる種類の詩歌で最も古く最良の手法は、重要な言葉の反復にあります。 |
第三位として、私はこの魅力をたたえて視覚に訴える短歌を選びました。
in the smooth sunlight
falling upon the slight winds
the fine yellow leaves
all around Rodin's Thinker
brushing his eternal thought.
静かな秋の日、かすかに吹く風に黄色に染まった木の葉が
ロダンの手になる「考える人」のブロンズ像に、舞い落ちている。
| この短歌の最も良い点は、ロダンの手になるブロンズの像と、その周囲や頭上に舞い落ちる、優美で繊細な秋の黄葉との対比にあります。けれども"smooth sunlight(静かな陽の光)"とか、"slight winds(わずかな風)"という語句は、満足なものではありません。これらの語句は注意深く選ばれているようですが−−多分、注意深かすぎたのではないでしょうか、結果として急にわき起こる感動の可能性を制限しています。ここでは、それ等の語句が不正確な英語という印象を与えています。 |
| 第二位は、かの名高いサンタ アナ風を取り入れている、次の短歌に贈ります。私はコンテストへの参加者の一人が、詩的でしかも殆んど宗教的ともいえる感情をいだかせる固有名詞を用い、深い感動と叙情詩風の音声の両方を、その詩の行に与えているのを知り、嬉しく思いました。 |
At your departure
the Santa Ana ariived
bringing bright moonlight.
Like your whispers in the wind,
my tears will be forgotten.
貴方が去り行く折、かの伝説的なサンタ アナ風がやって来て、
月の光もさやかに輝いた。風の中の貴方の囁やきのように、
私の涙も忘れられるでしょう。
| この歌は強い出だしで結びが弱い、もう一つの例です。けれども終りの二行にこめられた強い感情は、正真正銘のものです。"moonlight(月光)"という効果的な言葉の後に、私達はもっと劇的でより短編小説的でない、何かを期待するのではないでしょうか。 |
これが私の選んだ第一位の短歌です。
Strong winds from the sea
have blown these white gulls inland
to this old graveyard.
They cry among the headstones
as if searching for your name.
海からの強い風に、内陸の古い墓場まで吹きつけられた
数羽の白い鴎が、貴方の名前を探すかのように、
墓石の中を鳴き乍ら飛び回っている。
この短歌では、詩全体を通して吹き抜けていく風のイメージが、申し分なく維持されており、その嵐のように激しく悲壮な調べが、鴎の鳴き声の中で反響し、それが次々に私達の想像の中で、古くなり荒天にさらされてすり減った墓石の上には、多分残されていない死者の名前は勿論、失った愛する人を捜し求める誰かの押しころした嘆きの声となっていくことに、とても感心しています。
風のイメージの進歩は申し分なく、また最終の情緒的な行も適切に抑制されています。そしてリズムと音楽性に満ちています。この短歌全体が、規定されたテーマである風に乗り移られ、そのことを納得させられ、とても感動させられます。
終りに、私は応募短歌の他の作者の方々が、人間の情緒に及ぼすつかの間の影響、それは冷たい印刷物になるとむしろ陳腐に見えることが多いのですが、よりも風の精髄を呼び起こすことを懸命に試みられたらよかったのにと思いました。とはいえ、これ等全ての作品は勇気ある努力の成果であり、その中の多くは明確な将来性を示しており、私はそのことがこの種の今後のコンテストで実現するのを見たいと思います。 |
アンドーラ。2001年4月13日
ジェームズ カーカップ署名 |
翻訳者:起本 操
年月日:2001年4月30日 |
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